宇宙全史・五井先生

植芝盛平氏と五井昌久氏

祈りの戦士 募集します               2020年5月2日

祈りの戦士とは、あたり前の生活をしながら、日々の想いを「世界平和の祈り」の中に投げ入れて生きる人です。

「世界平和の祈り」とは以下の五行の祈りです。

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命が完うされますように

守護霊様 守護神様

五井先生 ありがとうございます。

人間としてどう生きるかは、その人の日々の「想い」で決まります。明るい想いは明るい人生を、暗い想いは暗い人生を約束します。

しかし自分の想いをコントロールすることは至難の業。

唯一の解決は「祈り」です。日々の想いを「世界平和の祈り」の中に入れることで、自分の人生をその「祈り言」にゆだねることができます。

「世界平和」は地球の、人類の、生きとし生けるものの悲願です。

それは、いまだ達成されていません。

生かされている命を「自分のためだけでない祈り」に投げ入れて生きてみませんか。

今、多くの人が「終末」に気づきはじめています。

地球が宇宙が、大きく進化しようとしています。そのためには今までの人類の古い想いを一旦壊さなければなりません。

世界平和の祈りを祈り続ける人たちが、地球の大変化を乗り切ることができますように、私も毎日祈り続けます。

「20年後世界人口は半分になる」みわ・虚空蔵55著 まんだらけ出版 のご一読をお勧めします。

ご興味のある方はこちらをご覧ください。https://www.mandarake.co.jp/publish/space/

お問い合わせはメールで 有馬まで minoruarima@gmail.com

肉体人間観から永遠の生命観に

人間は肉体身だという観念をいちはやく、超えなければ、人類は必ず滅びてしまうからなのです。何故ならば、相対界に住んでいる限りは争いはつきぬし、永遠の生命から離れた人間界は、その想念の通り、限りある年限で終わってしまうからなのです。肉体人間観では、自己を滅ぼすと同時に地球人類をも、永遠の生命から切り離してしまうことになって、地球世界は滅びてしまうのです。

自己を救い、地球人類を救うもの、それは、人間観の転換による他はありません。有限の世界観から無限の世界観に、肉体人間観から永遠の生命の人間観に、地球人類の心を向け変えなければいけないのです。

自分だけが善ければよい、自国だけがよければ、自民族たけが、というような想念は、すべて、肉体人間観からくるのであって、永遠の生命の流れとして、働きとしての人類なのだ、という観点に起った人々には、そうした利己的な想いはないのであります。

現在の日本国は、単なる一小国の日本ではありません。地球人類に永遠の生命を輝かせるための大きな一つの役目をもった日本国なのであります。そうした真理を心身に感じた愛国心で事に当たらないと日本を四分五裂してしまいます。

人間は神の分霊(わけみたま)であり、大生命の分生命であります。神はすなわち大生命であり、神の子人間すなわち分生命であります。宇宙に充ち充ちている生命の光が、お互いに交流しあい和合し合って、神の大交響曲が、この地球世界にも誤りなく演奏せられるのであります。

七十年八十年で死んでしまうような肉体人間観では、この神のオーケストラの素晴しい大光明に接することはできません。大神様は現在各守護神と分かれ、そしてまた、救世の大光明として、一つの働きに結集され、地球人類に永遠の生命を輝かし出そうとしておられるのです。

世界人類が平和でありますように

私たちの世界平和の祈りは、こうした大神様のみ心の下にはじめられた祈りです。

五井昌久著「神は沈黙していない」より

私たちの潜在意識までしみついてしまった肉体人間観。これを超えることなど、普通考えたら、とうてい不可能のようにも思えます。

しかし、だから、世界平和の祈りがあるのです。おおいなる救いがその響きのなかにあります。

精神世界に興味のある方へ

精神世界を探求しようとする人への注意事項を五井先生は説いておられます。

霊能と悟りとは違う。霊能力というのはたまたま肉体要素が、前生の霊能力開発の修行によって、そうなっているのであって、その人自身の人格の高さ低さには無関係である。とかく、霊能があることによって、そうした才能のない人を馬鹿にしたり、自分を優位においたり、自分が悟っている証拠であると誤解してしまう。霊能と悟りとは違うのだ、ということがわからなければ、その人はなかなか悟れない。

神の声をきいた、神様に教えられた、ということをよく聞くけれど、自分の潜在意識、かくありたいという潜在意識の現れであることが多い。しかしなかなか潜在意識であるかどうかわからないから、まず、そうした霊能霊言は一切否定することである。

真実のものであるならば、いくら否定しても、否定してもそれはおのずから全行為となって、全人格となって、全生活となって現れてくる。

-その木の実のなるをもって知れー

                  五井先生の言葉 高橋英雄著 「如是我聞」より